施設で働いて感じたこと
今日は、施設で働いているときに感じたことについて、自分なりの想いを書いていきたいと思います。
私は大学卒業後、社会人として初めて働くときに、知的障害者の居住施設で2年程働きました。
成人した知的障害者の方が生活している施設です。
そこでは、いわゆる”強度行動障害”と言われる様子が見られている方がたくさんいました。
”ガラスを割る・物を壊す”、”排泄物で遊ぶ”、”服を脱ぐ、やぶる”、”異物を食べる”、”強い自傷行為”…
日常的に見られる様子に始めはとまどっていたものの、仕事に慣れてくると、そういった様子はだんだんよくある光景になっていました。
施設での自由って?
施設で働き始めた当初に感じたこと、それは「ここに入居者している人たちは、これから先お腹いっぱいご飯を食べることはないのか…」とういうことです。
施設では、栄養が偏らないように考えられたメニューが、三食提供されていました。
きちっとご飯が出てくることはありがたいことでもあります。
でも、食べることが好きな私にとっては、「おいしいからおかわりしたい!」「お腹いっぱい、今日は食べすぎちゃった…」そんな日があることが、当たり前でした。
食べすぎることができることは、ある意味では幸せなことだと思います。
施設の生活でも、1年に1回でいいので、「もういらない」と満足するまでご飯を食べられる日があったらいいのに…、そんな風に感じました。
そして”食”以外の生活についても考えてみると、寝る時間も、起きる時間も、ご飯を食べる時間もいつも同じ、今日はちょっとゆっくりしたい、遅くまで起きて何かしたい…そんな当たり前のことが、施設の中では当たり前ではありませんでした。
ここで暮らすことの”自由”、利用者それぞれがその人らしく生きるって、どういうことなんだろう?
ここで生活している人たちの本当の願いってなんなんだろう?
そんなことを考え続けた2年間でした。
保護者の想い
施設で働くまで、「子どもを親が見るのは当然の責任」という思いがどこかでありました。
比較的恵まれた環境で育った私にとっては、親が子どもを育てるのは当たり前のことで、施設に子どもを預けることに対して”無責任に子どもを預けている”、そんなイメージをなんとなくもっていました。
でも、施設で働いて感じたのは、「親ってほんとにすごいな」「子どもと離れる時間をつくることって大切なことだな」ということです。
”ガラスを割る・物を壊す”、”排泄物で遊ぶ”、”服を脱ぐ、やぶる”、”異物を食べる”、”強い自傷行為”…こういった”強度行動障害”と言われる様子は、施設の中でも対応がとても難しいです。
そしてある意味では、施設だから、柔軟に見守るという対応ができることもあります。(もちろん必要に応じて制止はします)
でも、こういったことが自宅で行われたらどうでしょうか?
見た目はもう成人した大人、力で制止することは保護者では難しいこともあります。
目を離すと、何をするのかわからない、何が壊れるかわからない…片時も目が離せず、休まる時間はないと思います。
でも、施設に子どもを預けている保護者は、定期的に自宅に子どもを連れて帰り、自宅でちゃんと自分の子どもと生活をしています。
失礼な言い方にはなりますが、「よく家に連れて帰れるな…」と率直に思いました。
自宅で片時も目が離せないというのは、本当に大変なことだと思います。
何か壊れたらどうしよう…、次は何が起こるだろう…、とても心穏やかではいられないと思います。
それでも「自分の子だから」、そんな思いでちゃんと子どもと向き合う保護者の姿を見て、私が同じ立場だったらできるかな…そんな気持ちになりました。
職員は定期的に夜勤をして、利用者と寝食を共にします。
でも、それはあくまで仕事で、休みの日もあって、そこから離れられる時間もあります。
1日のうち、決められた時間だけ関わっていれば、終わる時間が見えていれば、優しい気持ちで接することができるかもしれません。
でも、保護者は子どもから離れられることはありません。
特に”強度行動障害”のような状態になっている場合は、片時も目を離すことができません。
24時間片時も休むことなく、目が離せない状態でいることは本当にストレスでもあると思います。
「親が子どもを見なくてはいけない」、そんなことはないと、思います。
24時間365日、時間を費やすことだけが愛情ではなく、たくさんの人を頼って責任をしょいこまないこと、時には子どもから離れて自分の時間を過ごすことは、とても大切なことだと思います。
施設で働いたからこそ、そんな気持ちがもてるようになった気がします。
職員の想い
昨今、こういった施設での職員の虐待が話題になることがよくあります。
そういったニュースを聞くとなんとも言えない気持ちになりますが、それ以上に、施設で働いたことのない人が、こういった人たちと関わったことのない人が、安易に職員や施設を批判しているのを聞くと、「なんだかな…」と思うこともあります。
様々な職員がいますが、少なくとも、”弱い立場の人をいじめよう”、こんな気持ちで強い関わり方はしていないと思います。
24時間離れられない環境の中で一緒に過ごせば、利用者に対して腹が立ったり、イライラしたりすることは、もちろんあります。
でも、24時間一緒に過ごすからこそ、その中で見えてくる良さもたくさんあり、生まれてくる愛情もあると思います。
そういった中で、職員一人一人が色々な形で「どうしたらいいんだろう」「利用者のために何ができるんだろう」と考え、愛情をもって利用者と向き合って過ごしていると私は感じました。
もちろん虐待は許されることではありませんが、関わったことのない人は、職員や施設を批判するだけでなく、ぜひ実際に施設に行って、多くの利用者と関わって考えてみてほしいと思います。
最後に
私が施設で働いたのは、たった2年間でした。
でも、その中で感じたことはこれまでのどの職場よりも多く、そしてその後の当事者や保護者との関わり方に影響を与えてくれた時間だったと思います。
学校現場では、”今、自分の目の前でできること”を目指して、とても強い指導をする先生もいます。
そして時には、そういった先生が指導力のある先生として評価されることもあります。
でも、そういった強い指導の結果、その先生の前ではできるようになっても、反動で徐々に行動障害となって対応が難しい様子が見られるようになり、その後本人も保護者も生きることがとてもしんどくなることもあります。
子どもたちと関わるとき、今、自分の目の前でできることが本当に大切なのか、20年、30年たって楽しく生きていくことにつながるのか、この視点を忘れないようにしたいと思います。
”障害のある人が、自分らしく生きるってどういうことだろう?
その答えは出ていないけれど、好きなこと、楽しいことを見つけて育っていってほしい…
その思いは、この2年間があったから強く思うことでもあります。
今日は率直な想いを書かせてもらったので、関係者の皆様で不愉快な思いをさせてしまっていたら、申し訳ありません。
当事者や保護者の皆様、施設や職員の方々を批判するようなつもりは全くありませんので、ご理解頂ければと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。