「遊ぶ」ってどういうことだろう?
タイトルの通り、今日は「遊ぶ」ということについて、自分なりの想いを書いていこうと思います。
以前の投稿「”きょうざいのき”について」で、「遊ぶ」ことと「学ぶ」ことを大切にしたいと紹介させてもらいました。
そして、「学ぶ」ことへの想いを前回の投稿で書かせてもらいました。
その時にも書いていたように、少し大げさかもしれませんが、私は生きることは「遊ぶ」ことと「学ぶ」ことだと考えています。
遊びと学びが人生を豊かにしてくれる、だからこそしっかり遊んで学びを楽しみながら生きていきたい、障害の有無に関係なく、人生を豊かに楽しめる人が増えていったらいいなぁと思っています😊
「遊び」=夢中になる
わたしは「遊ぶ」ことは、”何かに夢中になること”だと考えています。
遊具を使って遊ぶ、おもちゃで遊ぶ、何かを作る、なりきって遊ぶ、人と関わる、虫を観察する、自然の中で遊ぶ…何か特定の遊びでなくても、その子が夢中になることがなんでも「遊び」だと思います。
基本的には、子どもは夢中になることが得意です。
気になったことには一直線、本人が興味のないことを一生懸命やらせようとしても、なかなか取り組むことは難しいです。
でも、障がいがあると言われる子は、”夢中になる”ことが難しく見えることもあります。
また、夢中になることが限定的で、ずっと同じ動きをし続けたり、遊びが発展しにくかったりすることも多くあります。
それは、その特性のため、外界からの刺激を取り入れにくかったり、逆に過敏に反応しすぎてしまったり、興味関心を自ら広げにくかったりするためです。
また、肢体不自由の場合には身体を自由に動かすことが難しく、自発的に”夢中になる”ということを表現することが難しい場合もあります。
でも、そういった場合にも、その子をよく見ると、”夢中になる”とまでいかなくても、何かしら快・不快の反応を示していることがわかります。
例えば、特定な刺激に対して反応が変わる、他の刺激より長く反応が見られることがある、安心グッズがある、嫌な時に表情や視線で嫌なことを訴える、クレーン現象で訴えがある…等、本人にとって快く感じるもの、不快になるものを、何かしら表現していると思います。
それは、大人がしっかりと見つけなけらばならないことだと思います。
そして、夢中になるためにはその”快”反応を広げていく、それも大人の工夫が必要です。
その子の発達段階を知り適切な刺激やきっかけを与える、そしてその反応から快・不快に気付き、”快”反応を広げていく、そういった支援を受けることで”夢中になる”ことができるようになる子がたくさんいると思います。
本人が嫌なことを無理やりやってみるではなく、本人が表現した”快”反応から遊びの世界を広げていくことが大切です。
遊びの世界を一緒に広げていくようなきっかけをつくることは、大人の大切な役割です。

ブランコに”快”反応を示す子を例に、考えていきたいと思います。
ブランコ遊びが好きで、ずっと揺れ続けることに満足している子がいます。
そこからどうやって遊びを広げいていくのでしょうか?
例えば揺れの強さを変えてみると、もっと強く、もっと弱くと”快””不快”の反応が変わってくるかもしれません。
あえて横に揺らしてみたら反応はどうなるでしょうか?
数を数えたり歌を歌ったりしてリズムをつけることで、決まったところで期待感をもつこともあるかもしれません。
また、横でさりげなく一緒にこいでみるとどうでしょうか?
一緒にこぐより、「押してほしい」という訴えがあるかもしれません。
一緒に遊ぶという感覚を感じてもらえるかもしれません。
ブランコから飛び降りてみたり、靴をとばしてみたり、立ってこいだりすると、そんな遊び方もあったのか、と気付くかもしれません。
違う場所でブランコのような揺れを感じる場所をつくると、ブランコ以外の”揺れる”ことの楽しさに気付いていくかもしれません。
その子がその遊びに夢中になるには、何か必ず理由があります。
自ら遊びを広げにくい難しさがあるからこそ、大人が色々試行錯誤をして、その子の”快””不快”を引き出していくことはとても大切なことです。
大人が「こんな風に遊んでほしい」を押し付けるのではなく、違う遊び方、違う視点もあることを伝える。
「遊び」は子どもが主体の活動です。
”夢中になる”ことで、「もっと〇〇したい。」「〇〇するためにはどうしたらいいかな?」「〇〇さんもやっているからやってみよう。」こういった気持ちが育ってきます。
このような自分から生まれた気付きは、「学ぶ」ことにもつながっていきます。
夢中になることで、”考える力”が育っていきます。
「学ぶ」ために遊ぶのではなく、夢中になって「遊ぶ」ことの中で、結果として色々な学びも生まれていくのだと思います。
子ども同士で遊びは広がっていく
遊びを広げていくには大人の支援も大切ですが、子ども同士の力はもっと大きなものだと思います。
子どもは、同じ子どもをよく見ています。
感覚遊びが苦手な子で、大人が見本で触ってみても触ろうとしなかった子も
「〇〇ちゃんが楽しそうに触っているから、わたしも触ってみようかな。」
と言って触ってみた子もいました。
大人が見本を示してもチャレンジできなくても、同じ子どもがやっていたら
「〇〇くんができるようになったから自分もチャレンジしたい!」
そう思って新しい運動にチャレンジする子もいました。
同じ子どもがやっているから「楽しいかもしれない」「やってみようかな」そんな気持ちが生まれてくる、そこから遊びの世界は広がっていきます。
また、肢体不自由で身体が自由に動かせない場合、大人からの働きかけでは受動的にしてもらえることも、子ども同士では自分から何か働きかけないと何もしてもらえないこともあります。でも、だからこそ「伝えたい」「動くようになりたい」という気持ちがうまれます。
楽しい、嬉しい、悲しい、悔しい…同じ子どもだからこそ、色々な気持ちが生まれていくのだと思います。
そしてその気持ちが、自発的な表現につながっていきます。
こういった反応は、大人がどんなに見本を示しても、どんなにきっかけをつくっても、子ども同士でないとうまれないものだと思います。
同じ子ども同士だからうまれるこの力は、大人も大切に見守っていきたいと思います。
また、子どもは子どもの目線で相手を理解しようとします。
大人が「この子はこうだから」と思っていても、違う視点で子どもを見ています。
「この子はこういった一面もあったのか」と気付かせてくれるのも、子ども同士の関係があるからだと思います。
「遊び」の中での子どもの力は本当に偉大です。
子ども同士だからこそ広がっていく世界がたくさんあります。
「遊び」に大人の支援は必要ですが、少しずつ子ども同士で遊ぶ場を設定していくことも大切なことだと思います。
「遊びの指導」の中での遊びとは?
特別支援学校の小学部の授業では、各教科をあわせた指導として「遊びの指導」という時間が設定されている学校もあります。
「遊びの指導」の中で「遊び」には色々な考え方がありますが、わたしは、この中でも”何かに夢中になる”時間ができること”が大切であると考えています。
「遊びの指導」という言葉の通り、授業の内容を考える時は、目標を設定して、その目標を達成するための手立てを考えて、何ができるようになったか評価して…という流れが求められます。
例えば「遊びの指導」の中で色水遊びをする時のことについて考えていきたいと思います。
目標としてよくあげられるのが
〇赤と青を混ぜたら紫になることがわかるといった、色の変化に気付くことに関する目標
〇色水で季節の作品を作って、季節を感じること又は作品作りの技術的な面に関する目標
といったことです。
授業の中で実際に色水遊びをすると、子どもはとにかく色を混ぜることに夢中になっていることが多いです。
そして、結果的に色水は全部黒になってしまいます(笑)
でも、子どもにとってはそれは夢中になって遊んで結果生まれたことで、特に気にとめることでもありません。
でも、大人が色の変化に気付くことを目標にしていると、目標の色になったら「これでおわりにしよっか」と声を掛けて、子どもがもっと混ぜようとしている場面を止めてしまうこともあります。
子どもがさほど意識していなくても「赤と青が混ざったら何色?」と問いかけて、言語化することで目標が達成できたと評価することもあります。
色水で作品を作ることを考えていると、「黒くなったら色が汚い」と思う大人の心理が働いて、用意する色を少なくしたり、子どもが混ぜることに夢中になっている中で、無理やり作品作りに誘導してしまったり…ということもあります。
子どもが「色を混ぜる」ことに夢中になっている中で、目標を達成させなくちゃという大人の気持ちが、子どもの遊びを止めてしまうことになってしまいます。
それは子どもにとっては、「楽しかったことをやめさせられた」という活動になってしまいます。
そうなると大人から見れば目標を達成できた授業も、子どもにとっては「もっと〇〇したかったのに」という想いが残り、「楽しくなかった」という気持ちで授業が終わってしまうこともあります。
「遊びの指導」を考えるとき、「楽しいだけではだめ」という意見もありました。
でもわたしは、「楽しくないのは遊びではない」とも思います。
授業の中で教えてもらったことで新たな発見があったとしても、大前提として「楽しい」という気持ちがなければ、それは遊びではなくなってしまいます。
子どもは”夢中になる”ことを止められることが続くと、夢中になることがだんだん少なくなっていきます。
「遊びの指導」の目標や活動内容の設定は、とても難しいとも思います。
でも、その中で”子どもが夢中になる時間を作ること”と”子どもがその時間を振り返ったときに楽しかったと思えること”は、工夫次第でなんとかできると思います。
子どもたちが心の底から「楽しかった」「またやりたい」と思えた遊びの後は、とても良い表情をしています😊
色々な制限がある中で難しい面もありますが、授業の中での「遊び」も大切にできたらと思います。
まとめ
「遊ぶ」ということは、”何かに夢中になること”だと思います。
夢中で目の前のことと向き合い、その中で「もっと〇〇したい」「どうしたら〇〇できるかな?」という気持ちが生まれ、その気持ちは結果として様々な「学び」につながっていきます。
「学び」は遊びの目標ではなく、「遊び」の結果としてうまれてくるものだと思います。
子どもたちと全力で一緒に遊ぶ、子どもたちの遊びを温かく見守る、そんな人が周りにいることで子どもの「遊び」は充実していくと思います。
生きることは「遊ぶ」ことと、「学ぶ」こと。
私自身も大切にしていきたいです☺


